「鬼が笑う」とは
「鬼が笑う」とは、不確かな事柄や、実現性に乏しいことを話す人をからかった表現です。よく知られた用法に、「来年のことを言うと鬼が笑う」ということわざがあります。
「来年のことを言うと鬼が笑う」は、18世紀末に作られた「上方いろはかるた」の「ら」の札に採用されたことで大衆に広まったと考えられています。もっとも、かるたの札になるぐらいですから、その時点ですでに一般的だったと見なすこともできるでしょう。
明日どうなるかさえわからないのが人の運命なのに、さらに遠い未来のことをあれこれ言うのは、愚かで意味がないというのです。つまり、鬼は嬉しくて笑うのではなく、嘲笑しているわけです。
でも、なぜ「鬼が笑う」のでしょう? どうして「鬼」なのでしょうか?
「鬼が笑う」の疑問
じつは「鬼が笑う」という表現の起源ははっきりしていません。ただし、「来年のことを言うと鬼が笑う」ということわざについては、西日本を中心に、その由来を語った民話が複数残っています。
お話の流れはだいたいどれも一緒です。字数の都合で詳しく書くことはできませんので、簡単に骨子だけご紹介すると、不運な目に遭った鬼が、慰められて笑うのです。
例えば、歯や角(つの)が折れてしまった鬼が、「来年になればまた生えてくるよ」と言われて喜んで笑うという具合。そこから「来年のことを言うと鬼が笑う」という表現が生まれたという内容です。
しかし、ここで新たな疑問が湧いてきます。冒頭でご説明したとおり、「来年のことを言うと鬼が笑う」というとき、鬼は人間の行為を、いわば小馬鹿にして笑っているのです。上記の民話のように無邪気に喜んでいるわけではありません。これでは説明として、いまひとつ納得しづらいところがあります。
「来年のことを言うと鬼が笑う」の出典
一説に、「来年のことを言うと鬼が笑う」ということわざの成立は、江戸時代(1603~1868年)の初期といいます。「上方いろはかるた」の成立は天明(1781~1789年)のころです。
以下に、「来年のことを言うと鬼が笑う」をめぐる流れを俯瞰(ふかん)してみましょう。
江戸時代
「来年のことを言うと鬼が笑う」という表現が文献に記録された最古のものは、明暦2年(1656年)の皆虚『世話尽』と見られています。700余りのことわざを紹介したなかに、「来年をいえば鬼が笑う」があるのです。
その後も「来年の事いえば鬼が笑う」など、少し形を変えて、複数の書物でこのことわざが取り上げられていますが、由来について言及した記録は、江戸時代には見当たらないといいます。
明治時代
明治に入ると、ようやく現代と同じ解釈をした記録が登場します。つまり、「先のことなどわからないのに、あれこれ来年の話をするのは愚かだ」という解釈です。そして、「鬼が笑う」の語源らしきものも、ようやく明らかになってきます。
漢文教育の大家・簡野道明が明治40年(1907年)に刊行した『故事成語大辞典』のなかに、以下の記述があります。
上記の引用について、もう少し詳しくご説明しましょう。
由来は『南史』?
前項の引用文は、『南史』(古代中国の南朝に関する史書)の第十七巻に収められている、「劉伯龍の故事」について説明したものです。
簡約すると、劉伯龍という人物は郡の長官を務めるほどだったが、非常に貧しかったため、税金を上げて楽をしようとした。すると、それを見て鬼が手を打って笑ったというのです。
なぜ鬼は笑ったか
なぜ鬼は笑ったのか? ここでもう一度、簡野道明『故事成語大辞典』の引用をご覧ください。現代語で意訳するとこうなります。
ことわざ「来年のことを言うと鬼が笑う」の由来が『南史』の逸話にあると、明言まではできないものの、不確定な未来の話をして「鬼が笑う」ことの理由には説明がつきます。
人の未来が見えるからこそ、鬼は笑ったのです。不幸な未来が待ち受けているとも知らず、あくせくする人間がおかしくて笑ったのです。
「鬼」という存在
仮に古代中国が「鬼が笑う」の起源だとした場合、重要なことがあります。それは、日本の鬼と違い、中国でいう鬼は「亡霊」や「霊魂」のような超自然的な存在だという点です。
そうした鬼は、姿が見えなかったり、あるいは人間そっくりに変化(へんげすることもあるそうです。そして何より、人間の運命を見通す力を持っているのです。
「鬼が笑う」。ひとつの解釈としてお読みいただければと思います。