「丑三つ時」の意味
みなさんも「草木も眠る丑三つ時」なんて言葉を、一度は耳にされたことがあるかと思います。丑三つ時、あるいは丑三つ刻と書いて“うしみつどき”と読みます。
丑三つ時は時間を表す言葉で、現代で言うところの午前2時~2時30分頃のことです。ただし昨今はそこまでハッキリとは時刻を限定せず、真夜中という意味で使用されることもあります。
「丑三つ時」の使い方
24時間記法が当たり前となった現代では、それほど頻繁に「丑三つ時」を使用することはないでしょうが、粋な表現なのでここぞというときに使いたいですよね。
例えば「時計を確認したら丑三つ時だった。こんな時間に目が覚めるなんて嫌な感じだ」「もう丑三つ時だというのに、外がやけに騒がしい」「出発が遅れたせいで、到着は丑三つ時になりそうだ」などといった使い方ができます。
先述の通り時刻を表す言葉なので、「丑三つ時」を「真夜中」などの言葉に置き換えてみて違和感がなければ大丈夫です。ただし、現代においては丑三つ時はあくまで時間帯ですので「丑三つ時の頃」などという表現はNGです。
「丑三つ時」の由来
近代以前、日本では時間を24等分ではなく12等分していました。これを十二時辰といいます。十二時辰ではそれぞれの時刻が干支で表され、23時~1時を子(ね)の刻、1時~3時を丑の刻といった具合に定義していたのです。
つまり、1つの干支が受け持つ時間の長さは、現在で言うところの2時間分です。その2時間を30分ごとにさらに4等分して、1時~1時半は丑一つ、1時半~2時は丑二つと表現していました。
もうおわかりですね?2時~2時半は、十二時辰で言うと丑三つです。昔の人たちは、2時~2時半のことを「丑三つ時」と呼んでいたわけですね。
時間が由来となった言葉
丑三つ時以外にも、十二時辰を使用していた頃の時間にまつわる言葉がたくさんあります。せっかくなので、そのいくつかを以下に紹介したいと思います。
丑の刻参り
怪談話では定番の「丑の刻(こく)参り」ですが、この「丑の刻」とはもちろん十二時辰で言うところの丑の時間帯です。
丑の刻参りは古来から伝わる呪術のなかでも、特にポピュラーなもののひとつです。丑の刻に白装束を着て、頭にロウソクを立てた鉄輪(かなわ)をかぶり、五寸釘を突き刺した藁人形を神社の御神木(ごしんぼく)に打ち付けるというのが定説ですね。
おやつ
よく「3時のおやつ」と言いますが、なぜ間食のことをおやつと言うのか、しかもなぜ3時なのか、気になったことはありませんか?十二時辰制の頃の日本では、正刻になると鐘を鳴らして時間を知らせていました。正刻とは各干支が受け持つ時間帯の、ちょうど真ん中の時間のことです。たとえば丑の刻(1時~3時)なら、正刻は2時ですね。
この正刻の鐘にはそれぞれ呼び名がありました。丑の刻の鐘は「夜八つ(よるやっつ)」、酉(とり)の刻なら「暮六つ(くれむっつ)」そして未(ひつじ)の刻は「昼八つ(ひるやっつ)」です。
この頃の日本には昼食をとる習慣がなかったものの、未の刻にあたる14時~15時頃には仕事の手を止めて軽食をとっていました。時間帯としてはちょうど昼八つの頃、つまり「八つ時(やつどき)」です。この八つ時の軽食を「お八つ(おやつ)」と呼んだことが、現在の「3時のおやつ」という概念につながったのです。
四六時中
常に、または一日中を意味する「四六時中」という言葉は、十二時辰制の頃には「二六時中」と言われていました。
この「四六」や「二六」とは九九のことです。二六、つまり2×6は12ですよね。十二時辰制の頃は1日が12時間という定義だったため、「二六時中」が12時間(1日)の間中という意味で使われていたのです。ところが24時間制となった現在では12時間は半日にしかならないため、四六(4×6=24)で帳尻を合わせる形となったのです。
「丑三つ時」と幽霊の関係
「草木も眠る丑三つ時」は、怪談話の話し出しとして有名な慣用句です。昔から日本には丑の刻、特に丑三つ時に幽霊が出るという俗説があります。由来には諸説ありますが、有力なのは「方角が関係している」という説でしょう。
近代以前の日本では、時間だけでなく方角も干支で表していました。このうち丑と寅(とら)の中間にあたる北東の方角は艮(うしとら)と呼ばれ、鬼門(きもん)があるとされていました。鬼門とは怨霊などの魑魅魍魎(ちみもうりょう)の出入り口です。
だから幽霊は丑の刻の頃に現世に出現し、寅の刻の頃にあの世へ帰っていくと思われていたんですね。丑三つは丑が満つる、要するに丑の刻の気が満ちる時間帯という語呂合わせになるので、特に恐れられていたということです。