「さらさらない」とは
「さらさらない」とは、ある物事に対する気持ちや考えをまったく持っていないことを表現する言葉で、まったくない、決してないという意味です。「さらさら」は、「更々・更更」と漢字表記することもありますが、ひらがな表記が一般的です。
「更」には、更新や変更のようにあらためるとか、夜更け(よふけ)のように深まる、ふけるのほかに、後に打消しの言葉をつけて、けっして、いっこうにという副詞の意味を持っています。「更々/更更」は、「更」を二つ重ねることで意味を強調しています。
「さらさらない」の使い方
「さらさらない」は、気持ちや考えがないことを強く表す言葉ですから、否定の意思をはっきり伝える時などに使います。
【例文】
- 早く結婚しろと両親がうるさく言うが、そんな気持ちはさらさらない。
- あの人と一緒に旅行に行くなんて考えはさらさらないよ。
- 僕は、人生を仕事にかけるなんて気はさらさらありません。
- 合格者は初めから決まっていた出来レースで、ほかの人間を選ぼうという意図はさらさらないと思われるほど、偏ったオーディションだった。
- どんなに嫌われても、あなたと別れる気なんてさらさらないから、そのつもりでいなさい。
「さらさらない」の類語
「さらさらない」と同じように後に打消しの語を伴って、まったくない、決してないという意味の表現はたくさんありますが、その中のいくつかをご紹介します。
「さらさらない」は、「さらさら」という副詞を打ち消したものですが、以下で紹介する類語は、現実に存在するものや概念上のものに例えて、そこから転じた意味で使われています。
「毛頭ない」
「毛頭(もうとう)」は、毛の頭、つまり、毛の先ということですが、後ろに打消しの語を伴って、毛の先ほども、全く、少しもといった意味を表します。そこから、「毛頭ない」は、毛の先ほどもない、全くない、少しもないとなります。
【例文】
- 君のことを馬鹿にする気は毛頭ないのだが、その考えは少し改めたほうがいいと思うね。
- 助けてくれる気なんて毛頭ないくせに、言葉だけは親切なのが気持ち悪い。
「微塵もない」
「微塵(みじん)」とは、仏教用語で、物質の最小単位とされている極微(ごくみ)が、一つの極微の上下左右前後に六つ集まって一微塵となったもののことで、現代では原子と同じと考えられています。
ここから、「微塵」は、非常に小さなものを表し、細かな塵(ちり)、粉のように細かい状態の物質、物が壊れて細かくなることといった意味を持ちます。気持ちや考え、物の量や物事の程度などが、小さな塵ほどもないと否定しているのが「微塵もない」です。
【例文】
- 舞台裏で出番を待つ間、緊張で震えていた彼女は、舞台に立った瞬間、そんなことは微塵もなかったように堂々とセリフを語り始めた。
- そのころは、ただその日その日のことで精いっぱいだったので、将来のことを考える余裕など微塵もない生活をしていました。
「金輪際ない」
「金輪際(こんりんざい)」も仏教用語です。仏教の世界観の一つである須弥山(しゅみせん)思想では、大地が虚空(こくう)に浮かぶ風輪・水輪・金輪の上に載っているとしています。その上層の金輪の一番下で水輪に接する部分のことを「金輪際」と呼びます。
「金輪際」は、金輪の上に載る大地にとってもぎりぎりの底であるため、そこから転じて、最後の最後まで、とことん、断じてというような意味となり、「金輪際ない」は、断じてない、決してない、絶対にないといった意味を表します。
【例文】
- 昔、あの人にひどいことをされたことを忘れることは金輪際ないだろう。
- 犬猿の仲の二人が和解することなど金輪際ありえないと思うよ。