「疚しい」とは
「疚しい(やましい)」は、「疾しい」とも書き、以下のような意味があります。2と3の意味は、古い用法で、現代は、もっぱら1の意味で使われています。
「疚しい」は、動詞の「病む(やむ)」が形容詞化したもので、心を病むということから、病気・気分・不満・あせり・良心の呵責といった心身の状態や感情を表すようになった言葉です。
「疚」と「疾」の字義
「疚」の「久」は、人が背をかがめた姿と「ヽ」の会意文字で、背のかがんだ老人のことを表し、それに、人が病気で寝台にもたれかかる象形「疒(やまいだれ)」をつけて、老衰や病気、あるいは、久しい(長い)期間病に苦しむということを表します。
一方の「疾」は、「疒」と「矢」で、矢のようにはやく進むこと(疾走、疾風など)を表すところから、病気などが急速に進行する、あるいは、矢で傷ついて寝台にもたれかかるさまからやまい(病気)を意味しています。
つまり、病気や老衰などで心身に抱える苦しみや悩みといった状態から、上記のような「疚しい/疾しい」の意味が生じてきたと考えられています。
「疚しい」の使い方
人が後ろめたさや良心の呵責を感じる時とは、どんな時でしょう。隠し事や嘘、法律や道徳に反するような行為、怠惰であったり、不誠実であったりした時などが考えられますが、そのような時に他人に対して「疚しい」と感じるのではないでしょうか。
【例文】
「疚しい」の類語
「気が咎める」
「気が咎める(きがとがめる)」は、自分の言動に後ろめたい気持ちを感じることです。「気」は、気持ちや心の奥底の感情、「咎める」は、過ちなどを責め立てるところから、心を痛める、苦しめるという意味を持っています。「疚しい」と同じような意味の言葉です。
【例文】
- 忙しさにかまけているが、たまには両親の様子も見に行かないと気が咎める。
- 保身のために咄嗟に思い付いた嘘だったが、後で気が咎めたので謝罪した。
「忸怩」
「忸怩(じくじ)」は、自分の言動に対して、深く恥じることです。あまり見ることのない漢字ですが、「忸」も「怩」も、恥じる、恥ずかしく思うという意味があり、互いに強調している熟語です。良心の呵責には、恥ずかしいという意味もあり、「疚しい」の類語と言えます。
【例文】
- 相手の弱点に付け込んで有利に契約をまとめたが、内心は忸怩たる思いがあり、後味が悪かった。
- 助っ人を買って出たものの、十分な働きができず、忸怩たるものがあった。
「自責の念」
「自責(じせき)」は、自分がしてしまった間違いに対して、自分を責めることです。「念(ねん)」は、気持ちや思いのことで、「自責の念」は、自責の気持ちのことを言いますが、この気持ちの中には、後悔や恥ずかしさといった感情があるので、「疚しい」の類語と言えるでしょう。
「自責の念」は、駆られる・苛まれる・抱く・とらわれるといった動詞とともに使われるのが一般的です。
【例文】
- 京都の乃木神社を参拝して、日露戦争で多くの将兵を失い、自責の念に苛まれたであろう乃木大将のことを考えた。
- 学生時代、軽率にも仲間と冬山に挑んで、友人を失った私たちは、未だに深い自責の念を抱き、苦しみ続けている。