「万事休す」の意味とは?
「万事休す」(ばんじきゅうす)は、すべての方法をやり尽くしてしまったため、もう為すすべもなく、どのようにもできないという意味で使う慣用句です。
「万事」は、あらゆることという意味です。この場合の「休す」は、終わる、おしまいということで、休息を取ることではありません。
「すべてをし終えてしまい、その他に手立てがなく困っている」という意味に考えて「窮す」とする方もいるようでが、「万事窮す」という表記は誤用です。
「万事休す」の由来
「万事休す」は、中国の歴史書『宋史(そうし)』の「荊南高氏世家(けいなんこうしせいか)」から来ています。荊南の4代目の王「高保勗(こうほうきょく)」に対して、臣下が失望する故事に由来します。
高保勗は、王である父に甘やかされて育ち、怒られて睨まれてもニコニコと笑うだけであったことから、臣下が、失望して「万事休す」(これは何をしてももうだめだ。この国はもうおしまいだ)と嘆いたというものです。
別の説では、父王が高保勗を溺愛する様子を見て、「万事休す」と嘆いたとも言われています。いずれにしても、高保勗の即位後は風紀が乱れ、浪費によって臣下や国民の心が離れてしまいます。臣下の嘆き通り、5代目の王が国を継いで数ヵ月後に荊南が滅亡したということです。
「万事休す」の使い方
「万事休す」は、色々な方策を試したり、改善すべき点を探して修正したりしても上手く行かずに、他に方法がないという非常に困難な状況に陥っている場合に使います。
また、それ以上物事が進展する見込みがなく手の施しようがなく、すべてが終わってしまいそうな局面で、諦めの気持ちを込めるように使う場合もあります。
「万事休す」を使った例文
- 倒産を避けようと必死に頑張ったが、万事休すだ。
- 試合で劣勢に立たされ、すべての選手をつぎ込んだが、もう残り時間もなく万事休すの状態だ。
- 考えられる方策はすべてやってのけたが万事休す、もう手遅れだ。
- 犯人は逃げたが、袋小路にはまって万事休すと観念したようだ。
「万事休す」に似た言い回し
刀折れ矢尽きる・弓折れ矢尽きる
「刀折れ矢尽きる」(かたなおれやつきる)とは、戦場で敵を攻撃する武器の刀が折れて、射る矢もなくなり戦う手段がなくなってしまう様子です。そこから物事に立ち向かう手段や方策が尽きてしまうことに例えています。「弓(ゆみ)折れ矢尽きる」とも言います。
【例文】
- 刀折れ矢尽きたので、相手に降参する羽目になった。
- 弓折れ矢尽きると諦めてしまうのはまだ早い。損して得取れとも言うので、こちらを活かす方法を考えよう。
なお、「刀折れ矢尽きる」は、中国の歴史書『後漢書(ごかんじょ)』の一節が由来となっています。
【訳】馬から降りて大いに戦い、正午になってから刀も折れて矢もなくなり慮もまた引き返しました。
万策尽きる
「万策尽きる」(ばんさくつきる)とは、万策(すべての方法、やり方)が尽きてしまう(ことごとくやり尽くしてしまう)ことです。良いと思うやり方をすべてし終えてしまい、もう何もすべきことを思いつかない様子がうかがえますね。「万事休す」とよく似た状況です。
【例文】
- 計画を実行するために色々試したが、万策尽きてしまった。
- ゲームをクリアしようとしたが、万策尽きて次に進めない。
打つ手がない
「打つ手(うつて)がない」とは、事態を打開する手段がないことを言います。「打つ手」とは解決すべき方法や手段のこと、「ない」は「無い」、存在しないことです。「万事休す」のように、すべきことをやり尽くして何も方策がない状況を表しています。
【例文】