「ニヒル」ってどういう意味?
ニヒルとは、「虚無的」という意味です。虚無的というのは「むなしいさま」であることを指しますが、これを「人間の行いはすべてがむなしいのだ」というレベルまで行きついた思想を「ニヒリズム(虚無主義)」といいます。
ニヒリズムは「人生に意味などない」「社会が発展しても無意味なことだ」などと提唱するものであり、人生や社会を無意味な存在だと否定しています。このような思想を持った人々を「ニヒリスト」といいます。
「ニヒル」の使い方
たとえば「ニヒルな笑み」と言うことがあります。これを「虚無的な笑み」と訳すと少し難しいですが、「どこか冷たさを感じる笑み」と訳すと理解しやすいかもしれません。表情は笑っているのですが、心の奥でどこか冷めているような場合に使われます。
このように「どこか冷めているような」「どこか諦めているような」「どこか悟っているような」雰囲気を含んでいる言動に対して「ニヒルな〇〇」「〇〇がニヒル」といい、またこれらの雰囲気を含んでいる人に対して「ニヒルな人」といいます。たとえば、「ニヒルな表情をした隣の奥さん」、「視線がニヒルな幼馴染」、「職場の親方はニヒルな人だ」といった使い方ができます。
「ニヒル」と混同しやすい言葉
「ニヒル」と似た意味を持つ言葉に、「悲観主義(ペシミズム)」や「アンニュイ」があります。この3つは混同しやすいので、解説をまじえながら違いをみていきましょう。
悲観主義(ペシミズム)
虚無的(ニヒル)な思想を虚無主義(ニヒリズム)といいますが、似た意味を持つ言葉に「悲観主義(ペシミズム)」があります。悲観主義とは「世の中を悲観的にとらえる思想」のことであり、楽観主義の対義語とされています。虚無主義と悲観主義はよく混同されるので注意が必要です。「人生や社会を悲観して(嫌って)いれば悲観主義的」、「人生や社会を無意味なものだと否定していれば虚無主義的」と判断することができます。
アンニュイ
「アンニュイ」は倦怠という意味で、気だるげだったり退屈だったりと、「無気力な状態であること」を指す言葉です。たとえば「アンニュイな表情」といえば、「退屈そうな表情」という意味になります。ニヒルと混同しやすい理由は、どちらも「前向きではない状態を指す言葉」だからです。
大まかには「ニヒルは冷めている」、「アンニュイは退屈」と分類することができます。もう少し踏み込むと、ニヒルには若干の意志が含まれています。「人生に意味はない」という考えの裏には、「意味のない人生でも生きていくしかない」という意志が隠れています。
対するアンニュイとは、「ただ単に退屈な状態」なのです。元気も気力もなく退屈なときには、「それでも何かをしよう」という意志はなかなか持てません。別の表現をすれば、「ニヒルは人生や社会などのあり方について考えているが、アンニュイは退屈な時間を何もせずに受け入れている状態」といえるでしょう。
哲学としてのニヒリズム
ニヒリズム(虚無主義)は哲学としても長年研究がされています。ニヒリズムは「どれだけ人類が発展しようとも、我々は本質的な価値や真理は得られない」という概念を前提として、「したがって人間や社会が行っていることはすべて無意味なのだ」と提唱する思想です。もし誰かが「人間は何のために生きているのか」と問いかければ、「何の意味もない」とニヒリスト(虚無主義者)は答えるでしょう。
たとえば資産がたくさんあって、社会的権威があって、幸福な人がいたとします。当人は「これが人間の価値だ」と思っているとしましょう。しかしそれは「当人にのみあてはまる真実」であり、別の人からすれば「そんなものよりもっと尊いことがあるよ」と思うかもしれません。つまり、人間に共通する「本質的な」価値は誰にもわからないし、そもそも存在するのかすら不明なのです。
そういう意味で、ニヒリズムは「人間や物事に本質的な価値など存在しない」と提唱しているのです。これを考えると、「何のために働いているのだろう」とか「何のために頑張っているのだろう」と疑問を抱く現代の人たちは「小さなニヒリスト」だといえるでしょう。