「百聞は一見にしかず」とは
「百聞は一見にしかず」とは、「人から百回聞くよりも、一度でも自分の目で見るほうが正確に理解できる」という意味のことわざです。中国の歴史書、『漢書』に収録される「百聞不如一見」という一文が、日本に伝わったときに「百聞は一見に如(し)かず」となりました。
「百聞は一見にしかず」の由来
中国の漢の時代は、「前漢」「漢」「後漢」の3つにわけられ、「百聞不如一見」という言葉が生まれたのは、「前漢」の頃です。異民族である「羌(きょう)」と対立していた前漢は、「趙充国(ちょうじゅうこく)」という男を将軍に抜てきし、羌をこらしめることにしました。
作戦準備のときに、前漢から派遣された偉い人は、「どれだけの兵力を用意すれば、羌を倒せるか」と趙充国に聞きました。それに対して趙充国は、「直接見てみないとわからない」と答えました。これが、「百聞不如一見」すなわち「百聞は一見にしかず」の由来です。
どんなときに使う?
たとえば、新車を買いたくて、雑誌やインターネットで情報を調べているお父さんがいるとしましょう。特徴や乗り心地、価格やオプションなど、調べれば調べるほど悩んでしまいます。そんなときに、「百聞は一見にしかずだよ」と息子が言ったとします。するとお父さんは、「そうだな、よし、明日はディーラーまで直接見にいこうか」と、別方面からのアプローチを思いつくかもしれません。
情報が多すぎると、余計に悩み、ますます迷ってしまうことがあります。このような場合には「百聞は一見にしかずだよ」と言って、実際に行動に移すことを促すと効果的なことがあります。誰かが考えすぎて迷っているとき、「百聞は一見にしかずだから、まずやってみようよ」と声をかけてあげると、解決に一歩近づくかもしれません。
「百聞は一見にしかず」の類義語
「百聞は一見にしかず」と同じような意味をもつ類義語はいくつかありますが、それぞれ微妙に意味が異なります。混同しないよう、解説とともにご紹介します。
「論より証拠」
「論より証拠」とは、「口頭で議論するよりも、証拠を見せたほうが手っ取り早くて正確だ」という意味です。逆にいえば、「証拠がないのなら、いくら議論してもなかなか前に進まない」ということです。仕事上の連絡や会議などでは、まずは「結果」から報告し、そのあとに補足説明をすると伝わりやすいとされています。それと同じで、「論より証拠」も、まずは証拠を提示しましょうという意味の言葉です。
たとえば、妻の不倫調査を依頼してきた夫には、調査結果を口で説明するよりも、「論より証拠です」と言って、男と腕を組んでいる妻の写真を見せた方が、シロかクロかが手っ取り早く伝わるでしょう。そのあとに、順次説明をしていきます。
「案ずるより産むが易し」
「案ずるより産むが易し」は、「やる前は不安だけど、実際にやってみると意外と簡単なものだ」という意味のことわざです。出産前の不安や緊張はたくさんあるけれど、赤ちゃんを産んでしまえば、心配していたほどじゃなかったというお母さんは少なくありません。「百聞は一見にしかず」とおなじく、思い悩んでいて先に進めない人を励ます言葉です。
「頭でっかち」
「頭でっかち」は、物理的に頭部が大きい人に対しても使われますが、「いろんな知識を詰め込んでいながら、行動には移していない人」を意味する言葉でもあります。これらの人には、「屁理屈をこねる」「口だけは達者」「理想論ばかり述べる」などの特徴がみられることが多いようです。「頭でっかちにはなるなよ」というアドバイスには、知識も大切だが、行動力も大切だよという意味が込められています。
聞いただけではわからない
なにかの知識を深めたいときに、多くの人は書物やインターネットで調べるかもしれません。いまの時代はスマートフォンなどの通信機器も発達し、その場にいながら情報を得ることもできます。たとえば、自宅にいながら美味しい飲食店を探したり、おすすめの観光地を調べたりすることも可能ですが、実際に行ってみることで、初めて「本当のこと」がわかります。
ネットの評判は正しいのか。雑誌には書かれていないマイナス面はないのか。お店の雰囲気は? 立地環境は? そもそも食事の味などは、それこそ食べてみなくてはわかりませんし、個人の好みもあります。
上記はあくまで一例ですが、さまざまな状況において、「百聞」していたずらに想像をめぐらせているよりも、実際にその目で確かめたり、経験に移すほうが、断然理解が早いというのが「百聞は一見にしかず」の意味する教訓なのです。