「一年の計は元旦にあり」の意味
「一年の計は元旦にあり」ということわざは、「ものごとを始めるに当たり、計画を最初にしっかり定めておくべきだ」という意味を示す戒めの言葉です。「計」とは「計画」のことで、この文自体は「一年の計画は、年の初めである元旦に立てておくべきだ」という意味を表します。
「元旦」とは「一月一日の朝」ということですので、まさに「一年の最も初めの時間に、その一年全体の計画をしっかり立てることが、ものごとを成就するには大切だ」と説いている言葉だといえます。
「一年の計は元旦にあり」の語源
「一年の計は元旦にあり」ということわざは、中国の古典から由来しているという説と、その同時期に戦国武将・毛利元就が書状にしたためた言葉から成り立ったとする説の二つが有力とされています。
中国古典説
中国古典由来説は、中国・明(みん)の時代の万暦年間(1573~1620年)に、憑應京という学者官僚が著した、中国の儀式や年中行事、しきたりなどを解説した本「月令広義」が由来だとするものです。中国の民間伝承研究では重要な史料とされ、日本の「花咲かじいさん」の原典の一つと考えられる説話もあるなど、日本のいくつかの民話やことわざの出典にもなっているようです。
この本の一節に「一日の計は晨(あした)にあり、一年の計は春にあり・・・」というくだりがあります。「晨」とは朝のこと、「春」とはこの場合一年の初めのことです。すなわちこの文は「一日の計画は朝決め、一年の計画は年初に決めることが肝要だ」と説いたものです。この二番目の一文が「一年の計は元旦にあり」の元になったとされます。
毛利元就説
二つ目の説は、広島など中国地方を支配した戦国希代の知将、毛利元就の言葉というものです。「三本の矢」でも知られる通り、生涯にたくさんの書状などを残しており、名言も多いとされる武将です。1500年代の半ば、元就の長男・隆元に宛てて送った手紙の中にある一節が由来とされます。
それは「一年の計は春にあり、一月の計は朔(ついたち)にあり、一日の計は鶏鳴にあり」というものです。「春」とはやはり年初、「朔」とは月初、「鶏鳴」とは鶏が鳴く早朝を意味します。すなわちこの一文は「一年の計画は年初に、一か月の計画は初日に、一日の計画は早朝に立てなさい」という意味を示します。
この最初の文が「一年の計は元旦にあり」の由来とされますが、偶然なのかどうか「月令広義」の文とそっくりです。成立した時代は数十年ほど毛利元就の方が早いとみられますが、互いに交流があったとは考えにくく、それぞれが独自に考え、たまたま一致したのかもしれません。
「一年の計は元旦にあり」の使い方
「一年の計は元旦にあり」は、由来となったこれらの原典から「元旦」を「元日」や「正月」に言い換える場合もあります。また「一日の計は朝にあり」を加えて二つの文で表現されることもあります。いずれも「計画はものごとの最初にしっかり定め、できるだけ早く取りかかることが重要である」といった意味合いを示します。
使い方で注意すべきなのは「元旦の出来事がその一年を占う」と間違った意味で用いることです。「元旦に良くない事が起きると、その一年は縁起が悪い」といった意味ではなく、「最初の取り組みが肝心だ」と戒めることわざです。
「一年の計は元旦にあり」の例文
- 一年の計は元旦にありと言うから、早速今年の目標を立てよう。
- 善は急げ、一年の計は元旦にありだ。始めるのが早いのに越したことはない。
- 走りながら考えるのではよくない。一年の計は元旦にあり、だから、まずはしっかり計画を立ててスタートダッシュする方が良い結果につながるだろう。
「一年の計は元旦にあり」のまとめ
年の初めには、誰でも新たな気持ちで「今年こそはこれをやろう」と心に思うものです。実際は長続きしなかったり、結果もなかなかうまくいかないものですが、「目標を定めて努力すること」だけでも無駄ではないはず。皆さんも「一年の計」に取り組んでみてはいかがでしょうか。