「恣意的」の意味
「恣意的」は<しいてき>と読みます。「恣意」とは、「気ままな心」や「自分勝手な考え」のことですから、「恣意的」の意味は「主観的で気ままな心のままの性質」「自分の勝手な考えによる状態」などです。
「恣」の字は、これ一字で「ほしいまま」と読み、「欲しいまま」、すなわち自分の思うとおりに振る舞うさまという意です。「恣意」ですから、自分の欲しいままの考えや心を持つこと、と意味を読み取ることができるでしょう。
「恣意的」の使い方
「恣意的」は、例えば「恣意的な判断」「恣意的な解釈」などのかたちで、物事を進める上で論理的・客観的な筋道に従わず、「自分のしたいように考え、振る舞う」というさまを指して使います。
例えば、何らかの必然性を根拠として「1→2→3」と手順が決められている手続きにおいて、その必然性を考慮せず、「2を省いてもいいだろう」と自分勝手に考えて「1→3」と手続きしたとしたら、それは「恣意的」な判断であり、振る舞いであると言えます。
偶然、あるいはうっかりそうなってしまったケースと異なり、「恣意」には明らかにその人自身の意思が含まれます。よって、人間の(勝手な)判断や行為の責任を問う文脈ではしばしば「恣意的(かどうか)」という言葉が登場します。
例文
- この調査書には、結果を良く見せようと、良いデータばかりが恣意的に収集された痕跡が見られる。
- 法の効力が不完全であった時代、罪の重さの判断と刑罰の基準は、地方の担当者によって恣意的に運用されていたのが実情である。
- 「重さ」には自然界の中に絶対的な基準がないため、人類が恣意的に定義している。
- ゲームの最終盤、挑戦者が世界王者に猛追する展開で盛り上がったが、後のインタビューで、あれは観客を喜ばせるための恣意的な演出だったと王者は告白した。
- 何者も、時間の流れを恣意的に早めたり、遅くすることはできない。
「意図的」や「作為的」との違い
「恣意的」は、そのニュアンスがかなり「意図的」や「作為的」と近く、重なっているため、混同して使う方もいるようですが、意味は異なります。
「意図的」や「作為的」は、どちらも「明確な目的を持って、積極的に」何かを行う点に特徴がありますが、「恣意的」はあくまでも「自分勝手に、気ままに」何かを行うのであり、「意図」や「作為」は含まれない場合もあるのです。
また、「恣意的」には、他者や社会との関係性の中で守るべき基準やルールがあるのに、それを考慮せずに自分勝手に事を進める、という独善的な意味合いも含まれており、その点も「意図的」や「作為的」とはやや異なっています。
「恣意的」の英語表現
「恣意的」を英語で言うと、「arbitary」です。「任意の」という意味で使われることもありますが、基本的には自分勝手な判断や行為をけなしていう言葉です。「独断的」と言い換えてもよいでしょう。
例文
- It is unavoidable to some extent that the critics of a movie show the individual tastes and arbitrariness of the critics.(映画の批評家が個人の好みや恣意性を示すのはある程度やむを得ない。)
- You are arbitrarily manipulating the vote to make yourself win.(きみは自分が勝つために、恣意的に票を操作しているね。)
- Politicians arbitrarily lose their memory when their scandals are about to be exposed.(政治家は不祥事を暴かれそうになると、恣意的に記憶を失う。)