「空蝉」とは
「空蝉(うつせみ)」には、以下のような意味があります。
「空蝉」の語源
日本では、飛鳥時代に大陸から仏教が伝来し、その教義や思想や広がるとともに、この世に存在する人間は空しく、儚い存在という考え方が登場し、このような人間のことを「現し人(うつしおみ)」と呼んでいました。
やがて、「うつしおみ」が、「うつそみ」に変化し、さらに「うつせみ」となって「空蝉」や「虚蝉」の漢字が当てられるようになりました。
「空蝉」は、空(から)の蝉と書くところから、蝉の抜け殻のことを表し、抜け殻から転じて、2の意味となりました。また、「うつしおみ→うつそみ→うつしみ」の語源から、3の意味を表し、転じて4の意味も表しています。
「空蝉」の使い方
「空蝉」は、悲しい出来事に遭遇して放心状態になったり、なすこともなく空っぽといった様子を表す時に使うことができます。また、今の世の中や現在の状況を悲観的な気持ちで表現する時にも使えます。
【例文】
- 大切な人を亡くして、彼女は空蝉のように過ごす日々を送っていた。
- 定年退職して、毎日やることもなく日々を過ごすわが身は空蝉のように思えてくる。
- 庭の木の枝や葉の裏についている空蝉を取ってくれと子供にせがまれた。
文学や芸能に使われている「空蝉」
『源氏物語』の「空蝉」
文学に使われている「空蝉」の代表は『源氏物語』でしょう。第3帖「空蝉」は、光源氏と空蝉が交わした歌のやり取りから名付けられています。
(原文)空蝉の身をかへてける木のもとに なほ人がらのなつかしきかな
(訳文)蝉が空蝉に姿を変えて、去っていってしまった木のもとに立ち、なお、その人柄がしみじみと懐かしく恋しく思われる。
【空蝉の返歌】
(原文)空蝉の羽におく露の木がくれて しのびしのびにぬるる袖かな
(訳文)空蝉の羽に置く露(涙)が木の間に隠れて人目にはつきませんが、忍びに忍んだ涙に濡れる私の衣の袖でございます。
若くて高貴な光源氏の求愛に対して、一度は身を任せた空蝉ですが、聡明な彼女は惹かれ悩みながらも身分不相応を自覚して、着物を残して光源氏のもとを去ります。そのことを光源氏が、蝉の抜け殻(=空蝉)に例えて送った和歌と空蝉の返歌が上記の歌です。
能楽の「空蝉」
能楽の演目にも「空蝉」があります。これは、『源氏物語』の「空蝉」をモチーフにして、光源氏の空蝉に対する恋慕と苦悩が描かれた作品です。江戸時代から明治時代半ばにかけて長らく上演されていませんでしたが、以降、数は少ないものの再演されています。
万葉集の「空蝉」
万葉集に「空蝉」が入った歌があります。中大兄皇子(のちの天智天皇)が詠んだ中大兄三山歌と呼ばれている歌の1首です。この歌では「虚蝉」が使われています。
(読み下し文)香具山(=高山)は 畝火(うねび)雄々(をを)しと 耳成(みみなし)と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古(いにしえ)も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき
(訳文)香具山は、畝傍山が素晴らしいと言って、耳成山と争ったそうです。神代の昔からそうなのですから、今のこの世の中でも妻をめぐって争うのです。
三山は、畝傍山を女山、香具山と耳梨山を男山とする説と、香具山を女山、畝傍山と耳梨山を男山とする二説があり、中大兄皇子が弟の大海人皇子との間で額田王をめぐる確執の話とも結びついて、妻争いの歌として様々な解釈がされていますが、まだ定説はないと言われています。
歌謡曲などの「空蝉」
「空蝉」は、歌謡曲などのタイトルにも使われています。中村雅俊(作詞:一青窈)、さだまさし、ポルノグラフィといった歌手が自作の曲のタイトルに「空蝉」とつけたものがあります。
すべてをご紹介することができませんので、さだまさしの『空蝉』をご紹介します。『空蝉』は、1979年に発表したオリジナルアルバム『夢供養』に収録されています。
歌詞の内容は、老夫婦が、都会へ行った息子が迎えに来ることを信じて、終電車が出発しても駅の待合室で、ただ待ち続ける姿を歌っています。毎日、息子を待ち続ける老夫婦の姿が空蝉に重なり、もの悲しさが感じられる曲と言えるのではないでしょうか。