「杵柄」の読み方と意味
「杵柄」という言葉は名詞で、「きねづか」と読みます。「杵」とは、日本で古来、臼に入れた穀物などをつきこねるための、細長い木製の道具のことを指します。お正月などのイベントの餅つきで、今でも使われているのをご覧になったことがある方もいらっしゃるでしょう。
また「柄」は「え」とも読みますが、「刀剣や棒などの手で握る部分」を示します。これは紙を束ねた「束」や「掴む(つかむ)」とも同じ語源の言葉とされています。「刀の柄に手をかける」といった用例があります。
これらのことから、「杵柄」は「穀物などをつきこねる杵の柄の部分」という意味合いを示します。これが、現代では次項でご説明するような由来から「昔身につけた技術」といった意味で、一般には用いられています。
「杵柄」の由来
「杵柄」は、文字通りには「穀物などを臼でつく杵の柄(え)の部分」という意味合いですが、これが転じて「以前身につけた技」といった意味での使われ方が、現在では通例となっています。
かつて農耕で暮らしを営んでいた日本社会では、刈り取った穀物を臼でついて脱穀したり、ごちそうである餅をつくのは、大変重要な仕事の一つでした。特に餅つきは「ハレの日」といっためでたい儀礼などで行うものであり、一家の大黒柱や主人が杵で餅をついて一族や客人にふるまう風習は、今でも見ることができます。
こうした杵で餅をつくといった大事な技術は、年を取ってやらなくなったとしても、体が覚えていて容易に忘れることはないものです。こうした事例から「若い頃に身につけた腕前は、年月を経ても発揮できる」といったことを比喩する言い方として、「杵柄」が用いられるようになったようです。
「杵柄」の使い方や例文
「杵柄」という言葉は、通常は「昔とった杵柄」という定型的な慣用句の中で用いられることがほとんどだといえます。「とった」は漢字で「取った」とも「操った」とも表記されますが、いずれも「昔、餅つきなどの際に、つかんでいた杵の柄」という意味合いになります。
「昔とった杵柄」は「以前身につけた技術や腕前などが、今でも衰えていないこと」を示す比喩的な言い方です。「年齢を重ねた現在でもまだ十分発揮できる」ことを意味する表現ですので、「若い頃はたしなんだが、今では錆びついてまるでできない」といった場合には用いません。このため「学生時代はギターが趣味だったが、昔とった杵柄で今は触りもしないよ」といった言い方は誤用となります。
「杵柄」の例文
- 草野球なんて高校の野球部以来だったが、そこは昔とった杵柄。結構さまになるものだね。
- 実は若い頃居酒屋の厨房でアルバイトしていたんだ。昔とった杵柄だから、料理は任せてくれ。
- 昔とった杵柄とは言うが、さすがに何十年もたつと忘れてることもあるね。
「杵柄」の対義語
「杵柄」を使った比喩的な慣用句「昔とった杵柄」の反対の意味の表現としては、次のようなものが挙げられます。
- 「騏驎(きりん)も老(お)いぬれば駑馬(どんば)に劣る」…一日に千里も走る駿馬といえども、老いてしまえば足の遅い駄馬になってしまう。転じていかに若い頃才覚が優れた人物であっても、年を取れば衰え、普通の人と変わらなくなるという例え。
- 「昔千里も今一里」…昔は千里を駆け抜けた速さだったが、今では一里が精いっぱいだ。転じて、若い頃は優れた才能があっても年を取ると凡人と同じになる、という例え。
「杵柄」のまとめ
今回ご紹介した「杵柄」は、「年寄りになっても若いときの技はまだまだ錆びてない」とポジティブな印象があり、中高年には心強い言葉です。ただ、似たような表現でも中高年を戒める慣用句がありますので、最後にご紹介しておきます。
それは「雀(すずめ)百まで踊り忘れず」です。「雀は死ぬまで飛び跳ねる癖が抜けない。同じように、幼い時や若い頃に染みついた習慣は年を取っても直らないものだ」と、辛辣な意味合いがあります。慣用句やことわざは、人のさまざまな姿をよく表していますね。