「家紋」の意味
家紋(かもん)とは、日本固有の文化のひとつであり、家々によって定められている紋所(もんどころ)、すなわち紋章です。紋章は、家の章(しるし)として用いる図案を指します。
英語では、封筒・便箋・皿などに付けられる紋章「crest」にあたります。ヨーロッパでは貴族など身分が高い人しか紋章を持てませんでした。
「家紋」の歴史
家紋は平安時代に、公家が牛車に車紋を付けたのが始まりとされています。公家の家紋は優美な図柄が多いです。
武家が家紋を持ち始めたのは、源氏と平氏の対立あたりからで、戦場で敵味方を識別するため、また活躍を誇示するために使われたようです。この頃から家紋の図柄も多様化しました。
ところが江戸時代に入ると戦がほとんど無くなったため、家紋は家柄や身分を示すものへと移り変わり、装飾的な意味合いが強くなりました。
また苗字を持てない町人や百姓らも、自由に家紋を用いるようになりました。そして次第に、姓氏と家紋の関係は薄れていったのです。
「家紋」の分類
複数の家紋を持つ武士もいたため、紋の種類により呼び名があります。
- 定紋:じょうもん。家々で定まっている紋。表紋ともいう。
- 替紋:かえもん。定紋にかえて用いる紋。裏紋ともいう。
- 通紋:つうもん。姓氏など出身にかかわらず使え、広く用いられる紋。
- 女紋:おんなもん。女系から女系に伝わり実家の家紋と異なる。入婿により継がれる商家で主に近畿地方で見られやすい。
- 比翼紋:ひよくもん。自分の家紋と情人の家紋とを組み合わせた紋。
「家紋」の使用上のきまり
一般的には家紋を使うにあたり規制はなかったようですが、できる限り他家の定紋は使用しないなど暗黙の了解はあったとされています。ただし制限されている紋もあり、天皇家のみ使える十六八重表菊、江戸時代の徳川家の三つ葉葵の紋などが、これに当てはまります。
またとくに戦国時代は、名高い武将が功をなした家臣に自家の家紋を授けたり、逆に家臣の家紋を主君が用いることもありました。武士が名門の末流と称して、その紋を自家のものとして取り入れることもあったようです。
三つ葉葵と胡瓜
江戸時代、侍たちは胡瓜(きゅうり)を食べることを控えていたと言われています。なぜなら、胡瓜を輪切りにした断面が、徳川家の家紋「三つ葉葵」に似ているから。
三つ葉葵に似た胡瓜を食すことは、将軍家への愚弄だと考えられていたんですね。今でも胡瓜を輪切りにせず、斜め切りにこだわって調理する人もいるようです。
「家紋」の使い方
家紋はどういうものに入れているのでしょうか。時代や使用する人により異なりますので、それぞれの主なものを紹介いたします。
【公家】
牛車、輿(こし)、衣服など
【武士】
武具(兜、鎧、刀の鞘など)、旗、幕、城、礼装・正装の衣服など
【現代の人々】
冠婚葬祭の礼服、墓石、器など
「家紋」の例文
- 初めて見た家紋は、母の訪問着に付いているものだった。
- お正月の器を新調するにあたり、奮発して家紋入りの重箱やお椀をそろえることにした。
- 小さい頃は墓石に模様が付いていると思っていたが、後々それが家紋ということを知った。
「家紋」の種類
家紋は五千以上あるといわれ、植物、動物、自然、調度、文字、文様、建造などを紋章の対象としました。そのなかでも代表的な5つの紋を総称したものが五大紋、五大紋にさらに5つの紋を加えて十大紋と称します。
【五大紋】
- 藤紋
- 桐紋
- 鷹の羽紋(鷹の羽を図案化した紋で、種類が豊富。武士が武道・武勇を尊ぶ意味で用いられたとされる)
- 木瓜紋(瓜の切り口または鳥の巣を図案化したと由来が諸説ある紋。子孫繁栄を祈る紋といわれる)
- 片喰紋
- 五大紋(上記)
- 蔦紋
- 橘紋
- 柏紋
- 茗荷紋
- 沢瀉紋
織田信長と揚羽蝶
織田信長の定紋は五つ木瓜でしたが、それ以外に6つもの家紋を使っていました。そのなかのひとつが揚羽蝶です。揚羽蝶は平家の代表的な家紋ですが、信長は自身を平氏の末裔だと称し、あえて揚羽蝶を使ったのです。
また信長の妻といえば、美濃の斎藤道三の娘、濃姫(鷺山殿)です。しかし濃姫(鷺山殿)というのは彼女の通称で、本名は帰蝶、あるいは胡蝶であったと言われています。
信長の躍進を支えた家紋と妻。蝶は信長にとっての、ラッキーシンボルだったのかもしれませんね。
「家紋」の一覧
家紋は種類が豊富なうえに、由来や図柄も様々です。ご自身の家紋を調べることで先祖のルーツがわかる場合もありますし、歴史上の人物の家紋を調べると、思わぬエピソードに出くわすこともあります。日本の独特な文化でもある家紋を詳しく知れば、きっと身近に感じられることでしょう。